第1章:日本人最後の楽園・台湾で見えた手応え
文・本間英俊(クリエイティブディレクター)
「ホンマさん、最近やたら台湾に行ってません?」
――最近、出会う人たちにそう言われることが増えました。
実際、ここ数カ月は仕事の半分を台湾で過ごしています。
じつは、先月ある日本ブランドのポップアップを台北で開催した際、初日だけで約200万円の売上を記録しました。
数字としても手応えは十分でしたが、それ以上に大きかったのは「現場の温度感」と「日本ブランドへの期待値」を肌で感じられたことです。
台湾は今、間違いなく日本ブランドにとって“最後の楽園”だと感じています。
そう言い切れる理由は、単に“親日”だからではありません。
この国には、日本ブランドが再び世界とつながるための構造的なチャンスが残されていると感じています。
なぜ、台湾なのか
台湾市場は規模こそ大きくありませんが、感性と消費行動の質が極めて高い市場です。
「服」そのものよりも、「ブランドと過ごす体験」に価値を見いだす文化がすでに根付いています。
日本では“モノ消費からコト消費へ”という言葉が語られて久しいですが、台湾ではそれがすでに生活レベルで実現しています。
今回のポップアップでも印象的だったのは、商品を購入したあとの体験を重視する消費者が多かったことです。
フォトスポットでの撮影、ブランドの世界観を共有できる空間設計、スタッフとのコミュニケーション。
こうした要素が、単なる購買を「共感体験」へと変えていました。
日本のブランドがこの“体験価値”を丁寧に設計できれば、台湾は確実に応えてくれます。
それほど市場の成熟度が高く、文化的にも距離が近い国です。
日本ブランドにとって台湾は、単なる販売市場ではなく「文化的共感圏」として存在しています。
その背景を理解するために、まずは「台湾という国の成り立ち」を少しだけ振り返ってみたいと思います。
対日の歴史を学ぶ『KANO 1931 海の向こうの甲子園』
台湾と日本の関係を語るうえで欠かせないのが、映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』です。

永瀬正敏さんが実在の監督・近藤兵太郎を演じ、台湾初の甲子園出場を果たした嘉義農林学校野球部の実話をもとにした作品です。

そして嘉義エリアを語るうえで欠かせないのが、日本人技師・八田與一先生の存在です。
当時アジア最大級だった烏山頭ダムを建設し、台湾の農業を飛躍的に発展させた人物で、今でも台湾の教科書に載る“日本人が知らない日本の偉人”の一人です。
私も初めて台湾を訪れた際に烏山頭ダムを見学しましたが、想像を超えるスケールに言葉を失いました。
当時の技術でわずか5年でこれを作り上げたことに、ただ驚くばかりでした。
もう一人、台湾と日本の深い関係を象徴する人物が李登輝元総統です。

幼少期を日本統治下で過ごし、「私は22歳まで日本人でした」と語ったその言葉には、多くの日本人が胸を打たれました。
当時の台湾では公用語が日本語であったため、現在80代前後の方々はいまでも流暢に日本語を話します。
街で年配の方々に日本語で声をかけられるのは、こうした歴史的背景があるからです。
二つの中国、そして台湾の地政学
ご存じの方も多いと思いますが、日本は台湾を“国”として公式には認めていません。
これは日本だけでなく多くの国に共通し、その理由の多くは中国との外交関係にあります。
実際に、台湾を国家として承認している国は世界でわずか12カ国(+バチカン市国)のみで、世界のほとんどは台湾を「中国の一部」として扱っているのが現実です。
また、地政学的にも中国との緊張状態が続いています。
ニュースでよく耳にする「台湾有事」は、もはや他人事ではなく、台湾の人々が日常の延長線で感じている現実なのです。
数字で見る台湾の経済と実力
そんな台湾の現在を数字で見てみると、意外な一面が見えてきます。
• 人口:約2,360万人(日本の約5分の1)
• 名目GDP(2024年IMF推計):約8,000億米ドル(世界22位)/日本:約4兆2,000億米ドル(世界4位)
• 一人あたりGDP(名目):台湾 約34,000米ドル/日本 約33,000米ドル
• 購買力平価(PPP)ベース:台湾 約65,000米ドル/日本 約55,000米ドル前後

総額では日本が大きいものの、一人あたりの経済力では台湾が日本を上回っています。
多くの日本人は台湾を経済的に下に見がちですが、数字で見るとその認識はすでに時代遅れです。
さらに韓国を加えると、日本は明確に“ひとり負け”の状況です。
生産年齢人口の減少と内需依存の構造が、成長率や賃金の伸びに如実に表れています。
円安が進むなかで、国内サービス業の実質賃金は下がり続けています。
日本の経済構造そのものが問われているように感じます。
世界の約6割の半導体を生産する台湾の経済事情
台湾経済を支える最大の柱が半導体産業です。
この産業だけでGDPの約15%を占めています。
たとえば、TSMCとトヨタ自動車の時価総額を比較すると、その差はさらに際立ちます。
2025年現在、TSMCは約7,000億ドル(約150兆円)、トヨタは約2,600億ドル(約39兆円)。
人口2,300万人の島に、トヨタの約4倍の時価総額を持つ企業が存在する。
そう考えると、その経済的インパクトの大きさに気づくのではないでしょうか。
この半導体による外貨獲得は、台湾経済全体の成長を押し上げています。
実質GDP成長率は日本の約3倍(台湾 約2.9%/日本 約0.8%)。
つまり、台湾はもはや「安くて近い国」ではなく、「経済の質で日本を追い抜きつつある国」なのです。
ただし、この“バブル的成長”にはいくつかのリスクも存在します。
• 産業集中リスク:GDPの15%を単一産業に依存しているため、世界的な需要変動に脆弱。
• 地政学リスク:台湾海峡の緊張、米中対立の影響で生産や輸出が制約される可能性。
• 国内格差リスク:半導体関連以外の中小企業や若年層の所得は上昇しておらず、生活コストとの乖離が拡大。
• 資産バブルリスク:不動産や株式市場への資金流入が続き、実体経済との乖離が生じつつある。
このように、台湾の経済は確かに半導体を中心に急成長していますが、その裏には「一極依存」と「生活コストの高騰」という課題も見え隠れしています。
それでも、日本ブランドが海外に再び挑戦するうえで、台湾ほど“共感”と“購買力”が両立した市場は他にありません。
だからこそ、私はこの国を「最後の楽園」と呼んでいます。
絆の国、台湾
経済だけでなく、台湾が最も大切にしているのは「人とのつながり」だと思います。
その象徴的な出来事が、2011年の東日本大震災です。
当時、人口2,300万人の台湾からは、政府と民間を合わせて少なくとも約2億5,200万米ドル(約2,000億円)の義援金が寄せられました。
一人あたりに換算すると約1,100円。世界でも圧倒的な金額でした。
2024年の台湾地震の際には、日本からの義援金が総額1億5,000万円にとどまりました。
こうした数字は、台湾がどれほど日本を思ってくれているか、そして日本人がどれほどそれを知らないかを示しています。
能登半島地震の際にも、台湾は25億円以上の義援金を送っています。
日本政府の初動支援が47億円だったことを考えると、その規模がいかに大きいかがわかります。
最後の楽園としての台湾
私が台湾を訪れる理由は、地理的な近さや経済的可能性だけではありません。
何より、台湾の人々が日本人に対して持つ特別な親近感にあります。
政府も民間も、新しい挑戦や海外企業を歓迎するオープンな姿勢を持ち、特に日本人に対しては驚くほど温かく接してくれます。
歴史的な絆、経済的な可能性、そして人の温かさ。
この3つがここまで揃っている国は、世界でもほとんどありません。
経済的な成長とともに、台湾が持つ人の温かさ――。
その二つが共存していることこそが、私がこの国を「日本人最後の楽園」と呼ぶ理由です。
◇筆者プロフィール
本間英俊(ほんま・ひでとし)
クリエイティブディレクター。

国内外のブランド立ち上げや再生を手掛け、感性と経営を統合する独自のブランディングを実践。元「junhashimoto」アートディレクター、現「MINIMUS」をROLAND氏とともに共同設立。アパレル業界にとどまらず、地方メーカーや中小企業のブランド戦略支援にも携わる。
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